農業によって階級社会が産まれたというのは良く聞く話です。
功罪はそれ以外も色々あるんじゃないのって話がこの本の趣旨。
ライオンは日に2時間程度しか狩りをしませんが、これは怠け者だからというよりも「やり過ぎると獲物が居なくなって自分も詰むから」。
一方、同じような狩猟生物である原始人には原始農業の習慣があって食料が多重化されていたので、獲物が尽きても何とかなってしまったという事がありました。
これは好みの植物を密集させ、邪魔者を除草するといったレベルの事でしたが、これは原初の環境破壊に他なりません。
というわけで、リスの収集癖や鳥の糞などとは比較にならないレベルで環境が作り替えられていきました。
時代は下って氷河期末期にもなると、原初の人類も住みよい土地に集まるようになりました。
メソポタミアやら現在アボリジニが住む辺りは程よく温かく、獲物の動物も採集できる植物も多く手間が掛からず人口を増やす事ができたのです。
ところが氷河期が終わってそれまで氷だったものが溶け出し、楽園は水に浸かってしまいました。
他の生物であれば土地と運命を共にするところでしたが、困ったことに人類には農業がありました。
加えてメソポタミアには小麦という栽培にむいた野草があったので、働けばなんとか人口を賄う事ができてしまったのです。
ただし、農業という産業の特性上、一度手を付けたら収穫が増えるにつれて人手が必要になり、その人手を喰わせるためにさらに耕作地を増やすようになっていきます。
加えて豊富にある小麦を中心にした食生活になるので栄養価も偏って体調がおかしくなり、密集して住むがゆえに疫病リスクすらついて回ります。
こういったリスクに備えて備蓄のために更なる増産を……。
というわけで、人類は農業という手段を持っているが故に開放されることのない無限の労働を強いられる羽目になった……というお話でした。
なんだか、経営にもつながる話な気がしますね。
サブスク形式で儲けを出せるようになった会社が、その売上維持のために社員を増やして……社員が増えれば労働環境を整えなくてはならず……。
増やすペースや補償する範囲は予め覚悟をもって示さないとお互い不幸になるのかもしれません。