所謂「昔ながらの里山」が人間の手が入りまくった事で維持されていた……という話、最近では大分有名になりましたね。
本書は視点を変え、その山から流れていく川の行く先である湖や海にも「里湖」、「里海」といえる環境が存在していましたよ、という話が展開sれています。
開発が進み過ぎた山がハゲ山となり、土壌が流出して赤潮になるというのは義務教育周りで散々聞かされた話かと思います。
一方、里湖・里海が構成された地域では、そういった富栄養化状態で生じたアレコレを含んだ藻や貝を回収し、それを商品作物の肥やしに使っていた、という説明が為されています。
まぁ、流れ出るって事は受ける側もいるって事ですから道理ですね。
山側はたまったモノじゃないでしょうが、流域単位でみれば流出したリンは回収できるし、下流地域は儲かるしで必ずしも悪い意味ばかりではなかったようです。
とはいえ、この「儲かる」の原資である商品作物は元から地元にあったものでは無かった事も、本書では強調されています。
つまり、「菜種」「サトウキビ」や「木綿」といった、近代以降に外部導入された商品作物が豊富なリンを原資に栽培できるようになったという訳です。
受け止められなかった栄養素も砂泥に沈着し、「ナマコ」産業が瀬戸内海で活況になったという応用展開もあったそうです。
農業の歴史と同様、生産性が増せば養える人口がふえて、その人口がさらに子供を産むので生産性をあげて……という暗黒の黄金パターンはここでも同じようでした。
特に悪質なのが薩摩藩が奄美大島で実施したサトウキビ畑。
人口維持の源泉であった水田を潰してプランテーションとし、村民はイモで食い繋ぐが不作だと飢饉という救われない展開も多く見られた現象だったそうです。
また、リンの受け口である藻についても、湖に生じたモノについては余所から回収に来るものが多発し争いが絶えなかったとか。
これが長い歴史を通じて共同管理の対象となり所謂「コモンズ」としての環境整備がされたそうです。
以前読んだシベリアの淡水漁業やニューギニアの焼き畑の管理などなど、こういう利害調整は維持できてるものについては文明問わず案外いい塩梅に落ち着くような仕組みが備わってるのかもしれません。
里湖の維持に失敗した例
「東の松島 西の象潟」として親しまれた象潟(きさかた)は、藻の回収といった自然の遷移阻止が地域社会に組み込まれる前に埋没がすすみ大型地震でトドメをさされた事例です。
象潟 - Wikipedia