アメリカの失敗した林業地域に押し寄せる、国内の落伍者にに東南アジア難民(ゾミアな人々)は、生活の糧としてマツタケを収穫します。
集まったマツタケは周縁を出入りしている仲買人とのセリを通じてグレード分けされていきまうs。
面白い事に、次工程たるバルク買い商人はすでに品定めが終わっているマツタケを、自社で再検品して「翻訳」するようです。
こうなると、最早トレーサビリティとは真逆に来歴は漂白され、「アメリカ産のマツタケ近縁種」としてしか日本には入ってきません。
このように、商流に存在する各ノードは分割されており、各々の在り方に深入りしないが秩序が保たれている、という事でした。
著者は生産と販売が分離された状況を「疎外」と定義しています。
周縁社会では疎外された商材が産まれ、異文化の翻訳者たる仲買人は両社をつなぎ利益を得ているという解釈が示されています。
再検品のように
廃品回収はある種「疎外された商品」でしょう。
チョンキン・マンションの話で出てきたような中古自動車の流通経路、または共有地の悲劇も……結局のところ、独自の文化圏で作られている生産物を、翻訳して別の流通路に乗せるっていうのが儲かるのかも???